とびとびで書いていますが、盛岡ツアーの最後です。
平泉の観光スポットとして『中尊寺』に次いでメジャーな場所『
毛越寺』。
「もうつうじ」と読みます。
ここにも修学旅行で訪れた場所で「読みにくい名前だなぁ」と思ったことを覚えています。
一方で、肝心の境内の様子は「何か広かった気がする・・?」ということしか覚えてない・・
中尊寺といい、毛越寺といい、奥州文化の中心地に来て、ほかに感想はなかったのか、私!
でも、その記憶は間違いではなかったようです。
だだっぴろい。
昔は中尊寺をも凌ぐほどの規模だったといいます。
大きな池を囲むようにあった伽藍も、今は「本堂」「開山堂」「常行堂」の3つを残すのみ。
他の堂宇は失われて久しく、礎石と遺構を残すのみ。
池は周囲の山々と木々を映して、ひたすら静か。
華やかさはないけれど、ゆっくりと心落ち着ける場所でした。
もう一つ、平泉で訪れた場所は、『
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)』。
この達谷窟は、その昔、蝦夷の首領・悪路王が要塞としていたといわれる場所。
坂上田村麻呂が征夷大将軍としてこの地を平定した際に、毘沙門天の加護を感じて、
窟に毘沙門天を祀り、窟毘沙門堂と名付けたとされています。
最近、荻原規子さんの『薄紅天女』を読んだばかりだったので、タイムリー。
阿高が連れてこられた岩屋ってここのことか!
毘沙門堂は修復中で、青いビニールシートに覆われていましたが、ご参拝はできました。
窟っていう位なので、岸壁を穿ってお堂にしてあるのです。
正直、こういう所は怖い感じがして苦手です。
一人だったらきっと中に入るのにすごく勇気が要ったた思う・・
受け口気味の狛犬ズが愛敬があったのが、心が和みました。
敷地の端の方には、石仏があります。
大日如来または阿弥陀如来のお姿だといわれているそうですが、うーん、言われないと気付かないな。
長年風雨にさらされ、地震などで剥落したりして、お顔だけがかろうじてわかる程度になって
しまったようです。
お参りしている間に丁度16時になり、敷地内にある鐘が撞かれていました。
今でも現役で毎日朝夕に鳴らされているとか。
お寺さんのお子さんらしき小学生くらいの女の子が撞いていたのですが、
参拝者の目につかぬように(というか、姿を見られないように明らかに隠れて)
境内を移動して、お勤めをしていたのが印象的でした。
なんだろ、恥ずかしがり屋なのか、お勤めしているところは見られてはいけないきまりでも
あったのだろうかね。
あまりの隠れっぷりに、「座敷わらしか!?」という疑惑も。
境内を出てから、目があったので手を振ったら、控えめに振り返してくれたのが、
とてもかわいかったです。
達谷窟で、今回の盛岡(?岩手?)ツアーは終了。
帰りは、前沢牛めし弁当とビールを買い込んで、新幹線で帰りました。
最後まで、美味しい楽しい旅でした。